桃栗三年柿八年

よく、先輩から後輩へ教育する事がありますが、教えられる事はほんの一握りの事と私は思っています

コツを伝えることくらいはできますが、それもその人に合うかどうか分かりません

また、学ぶという言葉の語源は、真似るから来ているとも聞いたことがあります
(真似る→まねぶ→学ぶ)
真似をすることから始めるのは、基礎を習得するには良いのかもしれません

ではそれで一人前に成長できるのでしょうかね?
結局、自分で苦労した結果、壁を乗り越えた分だけ自分の財産になるんじゃないでしょうか
「♪涙の数だけ強くなれるさ」という歌がありましたが、自分で泣くほど頑張るしか
身につくことは無いと、まぁそんなものかもしれません

以前、桃の花が満開と聞いて見に行ったことがあります
咲いた花のピンク色が目に鮮やかで素晴らしかったのですが、花を見ている私などお構いなしに農家の方は
セッセと作業をしております。花が咲くとすぐに摘花(てきか)作業と言って、人工的に受粉させ
大きく実を成らせるよう手を掛けるのだそうです

ことわざに「桃栗三年柿八年」と言って、何事も一朝一夕には成らず年月が必要だ!
との意ですが、コツコツと地道に時間をかけてやるしかありませんね

「桃栗三年柿八年」の先があるのをご存知でしょうか

「枇杷(びわ)は早くて十三年」とか
「梅は酸い酸い十三年 梨はゆるゆる十五年 柚子の大馬鹿十八年 みかんのマヌケは二十年」などもあるそうで、
中には「桃栗三年柿八年 女房の不作は六十年 亭主の不作はこれまた一生」というのも...

こりゃあ気を付けないと、一生と思われたら、家庭では粗大ごみ扱いされそうですね

代表取締役 辻

2022年06月22日